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抽象的表現が意味するものは 野見山暁治展/中村一美展 

2008年7月16日14時36分

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 花の絵が指し示すのは「花」。ならば、何が描いてあるのか分からない抽象的表現は、何も意味しないのか。分かりやすい具象画に人気が集まる今、抽象的表現について考えさせる個展が重なった。

 まず、大ベテラン野見山暁治。油彩8点による新作展も、何が描いてあるのか分からない作品ばかり。例えば、「無精な風景」(07年)。中央に浮かぶ逆三角形は一部が編み目のようになり、心臓にも、顔にも見える。これによって画面は分割され、水が渦巻くような筆致、流れ落ちるような筆致、と描き分けられる。

 と、言葉を連ねても、心浮き立つ伸びやかさや生命感は伝わらないだろう。奔放に見えながら、黒の上に慎重に赤を置くといった周到な重ね合わせが、奥行きを生む。87歳にしてこのみずみずしい絵画空間は、舌を巻くほかない。

 周到さ、という点では、中村一美(51)は、さらに意識的だろう。「存在の鳥II」と題された今回の個展も、そのことを物語る。

 ある作品では薄塗りの中間色を伸びやかに載せ、ある作品では青や黄色の原色を荒々しく垂直、水平に走らせるは「存在の鳥29」(05〜08年)。目を陶然とさせつつ、個々の違いも興味深い。

 実は、いずれも羽を広げた鳥の姿が線描され、色面が分割されている。鳥の形は大きく二つしかない。あとは、色調、タッチを変え、大小200点以上描いているのだ。自然科学の実験のように、条件設定で、奥行き、伸びやかさ、視覚への浸透力がどう変わるのかを確認しているのだろう。

 野見山は実際に見たものからしか発想しないといわれ、中村も自作の背景に、体験や社会事象があることを隠さない。「無意味」から始めているわけではないのだ。

 花の絵が本当は「花」だけを意味するのではなく、多様な思いや感情を喚起するのは自明だろう。しかし、どうしても「花」の記号性が強い。2人は、具体性によって見落としがちな、より普遍的な絵画的な価値や体験のために、抽象化を選んでいるのではないか。だから、見る者は画面の前で立ち尽くしてしまう。(大西若人)

 ◇野見山展は19日まで、東京・京橋3の5の3のギャラリー山口。中村展は26日まで、同3の6の5の南天子画廊。日曜・祝日休み。

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